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1 雷電の袂鐘 1814年(文化11年)雷電は火災で全焼した報土寺が再建され、鐘楼と吊鐘を寄進したが鐘が翌年1815年(文化12)2月に鐘が異形だと神社奉行に咎められ、鐘の取り壊し江戸払いを命ぜられた。 この事もあってか、雷電は郷里に帰って来ているが、この折に菩提寺の小諸市市町の養蓮寺に鐘を寄進している。 旅の道中、袂に入れてきたとのことで「雷電の袂鐘」と呼ばれている。 鐘を入れた箱書きには「文化11年江戸神田之住人鋳物師長兵衛作るところ也雷 電之を袂に入れ江戸を発向す時に文化12年亥年7月28日帰郷後之を寄進したるは8月7日にして時に49歳也 昭和32年5月 尾崎士郎識 印」とある。 袂鐘には正面に「南無阿弥陀仏」」「華鯨大吼響如 雷電雲霧所披音展一見 蜀山人」背には三方に載せた酒器が描かれ「雲州 願主雷電為右衛門」とある。 上部には龍が彫られ、四本柱に御幣・弓、下部に土俵が彫られている。 注 尾崎士郎(1898−1964)愛知県出身の小説家。 小説「雷電」を1955〜1956に執筆している。 |
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2 石尊の辻 長瀬村(現上田市長瀬)には、庄屋の上原源五右衛門が設けた相撲道場があり「石尊の辻」と呼ばれ、雷電は、ここで相撲修行と上原源五右衛門が開いた寺子屋で学ぶ。 このことが天下無双、文武両道の雷電為右衛門を生むこととなった。 現在は跡地付近に石碑が建立されている。 |
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3 長昌寺 雷電は相撲道場「石尊の辻」で相撲修行したが、その折 にこの寺子屋に通い読み書きを学んだ。 (当時:長昌寺第六世藍峯和尚) |
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長瀬の歴史を残そうと地域の皆さんの活動で等身大の木彫り雷電像が作られ雷電所縁の長昌寺に飾られた (2018年12月) |
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4 武井神社の力石 長野市東町にある武井神社の社殿の西南に雷電の力石がある近くの鐘鋳川橋の架け替えで、いらなくなった石を神社に納めるのに難渋していたところ、雷電が善光寺参拝の折に、よいしょと持ち上げ運んだという。 この石に乗り降りすると健康になると言われている。 厚さ30p余、3畳 ほどの石で約4.5トンの大石である。 |
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5 望月駒形神社の燈篭 雷電が境内で相撲を取った際に燈篭を献納、その時に使用した雷電名入りの水引類も保存さている。 |
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6 諏訪大社上社の雷電像 諏訪市の上社に茅野市出身の彫刻家矢崎虎夫(1904〜1988)が1966年(昭和41)日府展で文部大臣賞を受賞した雷電像が社殿前に神社に向かい建立されている。 モデルは横綱柏戸・佐田の山・富士錦といわれる。 諏訪には相撲道場が3辻ありその一つが諏訪大社で1817年(文化14)から奉納相撲が行われ、1846年(弘化3)江戸相撲から4本柱を奉納されている。 |
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7 報土寺 東京都港区赤坂にある報土寺は、雲州(島根県)松江藩松平候の菩提寺であり、雷電夫妻の墓がある。墓前には重さ30(113kg)の力石と雷電の手形を彫った石が置かれている。 報土寺は赤坂の三分坂沿いにあり、築地塀(練塀)でも有名ですが、1811年(文化8)塀を残し全焼、3年後の1814年(文化14)に再建、その折に雷電が鐘楼と吊鐘を奉納した。 ところが、吊鐘が異形であり寺社奉行から取壊しと江戸払いを命じられた。 梵鐘事件の寺として訪れる人も多い。 |
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8 西光寺の雷電の墓 島根県松江市の西光寺に雷電為右衛門の墓が建立された。 破損がはげしくなった1991年(平成3)に建替えられている。 松江市の雷電の子孫”関家”は雷電が没した後、松江候の計らいもあり、現松江市八束町出身の朝風石之助(後の四声山加手右衛門・最高位は十両筆頭)を養子に迎えており、お墓にも朝風石之助も一緒に祀られている。 |
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9 佐倉市 雷電の墓 雷電の墓は、妻八重の故郷、千葉県佐倉市臼井台の浄行寺(廃寺・現妙覚寺管理地)に、雷電夫妻と娘が葬られ、現在は、妙覚寺の境内地に、勝川春亭の錦絵、雷電の顕彰碑がある。 |
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佐倉市 雷電の顕彰碑 雷電の等身大の立ち姿と佐久間象山の『天下第一流力士雷電之碑』と書かれた顕彰碑が雷電没後153年の命日の1978年(昭和53)に建立され 、毎年雷電の命日に雷電顕彰会による雷電祭が行われ、佐倉市の皆さんに手厚く供養いただいている。 |
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10 冨岡八幡宮の力士碑 冨岡八幡宮(東京都江東区冨岡・深川神社とも呼ばれる。)は、江戸相撲の発祥地として知られ、本場所も開催された。 1900(明治33)年 第12代横綱陣幕の奔走により横綱力士碑が建立された。 この碑の裏面には歴代横綱の名前が刻まれ、上段に『無類力士雷電』と刻まれている。 |
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11 月照寺 雷電顕彰碑 雲州松江藩主の菩提寺(浄土宗)に、1956年(昭和31)雷電の顕彰碑が月照寺に建立され、碑の下部に雷電の手形が刻まれている松平家の墓所は、国の史跡にも指定されている。 |
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12 常夜灯と雷電 高崎市倉賀野町の旧中山道と例幣使街道(日光東照宮の大祭に京都からの勅使の通る街道)の分岐点に、1814年(文化11)正月14日に常夜灯が建立されている。 この基台に雷電のほか311名の寄進者が刻まれている。 |