雷電為右衛門の生家から 雷電生家保存委員会
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       *** 東 御 市 内 の 史 跡 ***


   
 雷電のお墓

 雷電のお墓は、生家から300mほど離れた関家のお墓に設置されている。雷電は、1825(文政8)年2月11日江戸で妻に看取られ59歳で没し、死後分骨され故郷の大石村(現東御市)に埋葬されている。雷電のお墓のそばには、父半右衛門の墓があるが、酒好きの父を偲び、枡を台にして棹石には酒樽を、その上の笠石には盃をかぶせたお墓が並んで設置されている。雷電のお墓は、この他に東京都港区赤坂の報土寺・島根県松江市の西光寺・千葉県佐倉市臼井の浄行寺にもあり、佐倉市のお墓は、1827(文政10)年1月20日没した妻八重と1798(寛政10)年没した娘と一緒に葬られている。
力士雷電之碑
  
 雷電の没後、1861(文久元)年に北国街道の牧家1里塚の傍らに、雷電の徳を偲んで碑が建立された。この碑は、明治維新の英傑佐久間象山が、雷電のため自ら文を選び、雄渾な字で書かれている。最初に建てられた碑は、雷電にあやかりたいと願う人々に、お守りとして削られて傷みがはげしくなり、1895(明治28)年勝海舟・山岡鉄舟が発起人となり、新碑が建立され、場所は当初の一里塚から西へ200m離れた場所に、旧碑と一緒に設置されている。
   
                     薬師堂の石像仁王像

 東御市田中75番地の薬師堂に1796(寛政8)年雷電が西方大関に昇進した翌年、母親の「けん」が、子宝祈願をして雷電が誕生したお礼に、向かって右の石像仁王像(阿像)を寄進した。1984(昭和59)年東部町(現東御市)の有形指定文化財になっている。
 
   
                            海野宿白鳥神社四本柱土俵

 東御市本海野(北国街道海野宿内)の白鳥神社(奈良~平安時代に創建、日本武尊命を祀る)へ1808(文化5)年に毎年8月12日に奉納相撲を行うことができる保証証文を海野宿若者衆中あてに与えており、1815(文化12)年には、帰郷の節『四本柱土俵』を奉納している。
 
   
白鳥神社 拝殿  雷電像(日本彫刻家 竹内不忘作)

 東御市役所の敷地内、市庁舎の前に雷電像が設置されている。この像は、1986(昭和61)年東部町(現東御市)商工会員の皆さんなどの協賛金により、東御市和 栗林出身の日本彫刻家竹内不忘様(1909~2011年、日展審査員・同会員)に制作いただき、東御市役所改築に合わせ、東御市中央公園から現在地に移転された。この雷電像と兄弟像になる雷電像が道の駅『雷電くるみの里』に設置されている。
   

雷電資料館と雷電像(道の駅 雷電くるみの里)

 雷電生家の東約500m、サンライン沿いにある「道の駅雷電くるみの里」に雷電資料館が併設されている。資料館には、雷電の化粧まわしのレプリカ・雷電が日本中を巡業した地域図・手形・錦絵・上田市在住の油彩画家の米津福祐氏(二紀会会員・参与)の150号の絵や雷電の生い立ちの水彩画などの資料が展示されている。また、資料館前には、2007(平成19)年9月17日東御市出身の彫刻家竹内不忘氏作の雷電像が設置されている。  

         
       

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